「惜しまれる神」 02.06.02
ヨナ3:1〜10、ルカ15:32
キリスト教嫌いで、悪女のように言われていた三浦綾子さんが
クリスチャンになったと聞いて、友人たちは驚きあ然としたそうです。
キリスト教に触れ、神に変えられてしまった三浦さんの生き方の変化に
驚いたということかもしれません。
しかし、それ以上に驚くべきことは、そんな三浦さんを喜んで迎え入れる
神の御愛の大きさです。
ヨナ書に登場するヨナという人も同じように驚きました。
ヨナは初め、ニネベという町の悪さを知った神に派遣され、町の滅びを
予告したのです。 すると意外なことにその町の人々をはじめ、王様でもが
心から悔い改めたのです。神は、そんな町の人々の様子を見て、滅びを
思い直されました。「惜しまずにいられるだろうか」といって滅びを免れさせて
くださいました。神は、滅びを目的にしておられるのではありませんでした。
滅びをお喜びになる方ではありませんでした。ですから、ニネベの人たちの
悔い改めをご覧になって、喜んで災いを下すのをお止めになったのです。
ヨナは、ニネベの町にさえ滅びをまぬかれさせる神の御愛の深さに
驚きました。
ニネベの町を惜しみ、滅びを思い直された神は、私たちに対してさらに
驚くべきことをしてくださいました。神からすれば、ニネベの悪と大差のない
罪を抱える私たちです。そんな私たちの滅びをまぬかれさせるために、神は
独子(ひとりご)イエス・キリストを十字架におかけになったのです。
それによって私たちは、罪を赦され確実に滅びを免れる者にしていただきました。
そんな私たちのことを見たら、ヨナはなおいっそう驚くに違いありません。
でも、そうなのです。どんなに人が驚き、自分で疑いそうになったとしても、
私のことを惜しまれる神は、滅ぼすのでなくイエス・キリストによって罪を赦し、
喜んで受け入れてくださるのです。
この神の御愛に驚きつづけていたいのです。
その時には、周囲の人の見え方も変わるでしょう。
神の御愛は、その人をも包み込んでしまうに違いないと知るからです。